本屋のばあさんの平和な一日
世捨て人のばあさんが、さびれた裏通りでひっそりと営んでいる貸し本屋。 気紛れなお客様のお立ち寄りを、野に咲く花のよーにひそかに待っている。
通小町10(12回完結)
 こうしてみれば、歌徳とやらも、大して当てにならないものだ。およそ、わたし

ほど、そこここの歌会、歌合に列席している女もあるまいに、わたしの歌才を

正当に評価する者は、あまりに少ない。

 歌会に出る度ごとに、やれ、花を添えるの色がついたのと、ひっきりなしに

言い掛けられ、愛想笑いに表情も張り付く。

 それでは何か。わたしは、女だから、まして美女だから、歌会に色気を添える

意味でのみ、人数(にんじゅ)に指されるとでも言いたいのか。心外な。わたしは

歌人だ。歌才によってこそ、末席にも候うものを、人の容姿を褒めるのも、時と

場合を弁えたが良い。

 いっそ、二目と見られぬ醜女ならば、歌才を疑われることもなかったろう。物心

ついた砌(みぎり)から、万葉を聞き覚え、篁のお祖父様に、それはもうみっちりと

仕込まれたのだから、これこそ、私の自ら練磨して得た、人格の核というべき

ものなのだ。それが、この美貌に霞んで正当な評価を得られないのなら、こんな

顔など要りはしなかった。呪われた美貌。所詮、顔容貌(かたち)など、天賦の

誉れではないか。自ら得た歌徳とは、初めから比較にならぬ。容色を才能と

勘違いしていたのは、少女の頃の話だ。

 玄宗皇帝の寵妃は、その天性の麗質によって、後世に名をとどめた。ただ、

比類なく容顔美麗だっただけだ。ほかにしたことといえば、国政を乱すのみ。

わたしは、幸い、傾国の罪は免れたが、わたしが後世に名を伝えられると

すれば、やはり美女としてなのだろうか。唐土に貴妃あり、本朝に小町あり、

か。やれ、ありがたや、光栄至極。

 おこがましい。話にならぬ。たかが顔容貌(かたち)ではないか。死ねば

それまで、形骸もとどめぬ。画に描いて、また何せんにかは。いずれ引き目

かぎ鼻の様式に陥るのが関の山だ。

 和歌の誉れは永遠不滅だ。朽ち果てることなく、営々と称えられる。歌徳こそ

めでたき栄誉なのだ。

 なんだ顔。こんな顔。わたしの顔がどうした。目と鼻と口、それだけのことでは

ないか。死ねば残らぬ。いや――。生きていてさえ。そうだ、生きてさえ、形骸を

とどめない。日一日と衰える。一時もとどまらず、ひたすら老いてゆく。ああ、

わたしの顔。わたしの顔が。

 わたしのわたしたる所以は、この麗姿にのみあるのだ。ただ容顔美麗なだけ

の女とは、楊美人ならぬ、わたしのことだ。しかも、わたしは白痴ではない。

見た目が良いよりほかに、何の意味も価値もない女。美しい小町を、誰もが

愛し、その在る意味を認める。美しくない小町は――。小町が美しくなくなった

ときは――。わたしは、どこにもいなくなる。

 はかなや。花の顔(かんばせ)とは、なんと、このことだったのか。



   花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に

<庭の花の色も褪せてしまったなあ、長雨が降るのをぼんやりと見ているうち

に。それと同様に、私の容色もすっかり衰えてしまったなあ、私がうかうかと

世を過ごし、ぼんやりと物思いに耽っている間に>



 麗質ゆえに、知性をも、人格さえも、認められない女は、自らその麗質をこそ

恃まざるを得ないのだ。移ろいゆく色をはかなみ、かつは、束の間の春を奢る。

散らばさて、見向きもされぬ花の命を、いっそ一思いに手折りもするなら、まだ

しも救われようか。

 良少将に、小町も尼にと言づてたらば、哀れに思っては下さるまいか。

……いや。あの方は、お笑いになるに違いない。自ら頭(かしら)下ろし給う

段にさえ、さすがに惜しみ給うたという。



   垂乳根はかかれとてしもむばたまの我が黒髪を撫でずやありけむ

<母上は、まず、「このように(髪を剃って僧形に)なれ」と思って、子どもの頃、

私の艶やかだった黒髪を、撫ではしなかったであろうのになあ>



 あのお覚悟でさえ、親を思えばためらわれたと仰るのだもの、小町がこの年で

尼そぎなどと血迷おうものなら、「あたらみどりの黒髪を。切るまでもあらじ、世に

経てよ」、あの方なれば、そうも仰って……。小町の尼姿は、さもあらばあれ、

浮世に未練はないけれど、母の嘆きが忍び難い。

 無常のあわれ、人の世のあわれ、人の情も、はたあわれ。



   あはれてふ言こそうたて世の中を思ひ離れぬ絆(ほだし)なりけれ

<(あはれ、と世をはかなんで俗世を棄てようとしたのだったが、)その「あはれ」

という言葉こそが、困ったことに、俗世を思い棄てることをできなくする障害であっ

たことだ>



 いずれ朽ち果て、老醜を晒すものなら、盛りの花の奢りこそ、なかなかに

物思いの種。いや、物笑いの種か。なまじい美容を誇れば、老いも死も

惜しまれて、始末が悪いというもの。



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